こんにちは。Hanaoです!
今回は、そんな特許制度がどのようにして生まれ、育ってきたのか、その「はじまりの物語」を一緒に見ていきましょう!「知財や経済のことはよく知らないけど、ちょっと気になる…」という方に、少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
アイデアを守るって、いつから始まったの?
「新しいものを考えついた!」「これ、他の人にマネされたくないな…」こんな気持ち、昔の人も同じだったようです。
- 古代ギリシャの料理人たち: 紀元前500年頃の古代ギリシャの都市シュバリスでは、独創的な料理を考えた料理人に、1年間その料理を独占して提供できる権利が与えられたとか!まさに、おいしいアイデアの保護ですね。
- ヒッタイト帝国の鉄の秘密: 紀元前18世紀~12世紀頃に栄えたヒッタイトは、当時最先端だった鉄の製造技術を国家機密にして、軍事的優位性を保ったと言われています。これも一種の「知的財産戦略」と言えるかもしれません。
これらは今の特許とは形が違いますが、「新しいアイデアや技術には価値があり、それを守ろう」という考え方の芽生えを感じさせます。
世界初!ヴェネツィアの「発明者条例」
近代的な特許制度の直接的なルーツとしてよく語られるのが、15世紀イタリアの海洋都市国家ヴェネツィアです。 1474年、ヴェネツィア共和国は「発明者条例」を制定しました。これが世界で最初のまとまった特許法と言われています。
なぜヴェネツィアだったのでしょう? 当時のヴェネツィアは、ガラス製品や絹織物などの手工業が盛んで、東西交易の中心地として繁栄していました。優秀な職人や新しい技術は、都市の競争力を支える大切な宝。しかし、職人の引き抜きや技術の流出も悩みのタネでした。
そこで、発明者にインセンティブを与え、新しい技術をヴェネツィア国内で活かすために、この条例が生まれたのです。
ヴェネツィア発明者条例 (1474年) のポイント

あの有名な天文学者ガリレオ・ガリレイも、パドヴァ大学教授時代に自身が発明した揚水ポンプについて、ヴェネツィアで20年間の特許を取得しています。彼は「この発明は多大な努力の賜物であり、しかるべき保護がなければ公開せず、自分で使うだけだ」と主張したとか。発明者の権利意識の高さが伺えますね。
このヴェネツィアの制度は、その後ヨーロッパ各地に広がる特許制度のモデルになったと言われています。
イギリス「専売条例」と近代特許制度の礎
ヴェネツィアに続いて、特許制度の歴史で重要な役割を果たしたのがイギリスです。 17世紀初頭のイギリスでは、国王が気に入った人物に特定の事業の独占権(専売権)を濫発し、自由な経済活動が妨げられる問題が起きていました。
こうした状況を背景に、1624年に**「専売条例 (Statute of Monopolies)」が制定されます。 この法律は、国王による不当な専売権の付与を原則禁止しつつ、「新規の発明」に対してのみ、一定期間(14年間)の独占権を与える**ことを認めた画期的なものでした。
イギリス専売条例 (1624年) のポイント

「新規の発明」を保護するという明確な基準を示したこの専売条例は、その後の各国の特許制度に大きな影響を与え、技術革新を後押しする力となりました。例えば、ジェームズ・ワットの蒸気機関も、この特許制度によって保護され、改良が進んだと言われています。
まとめ
今回は、特許制度の「夜明け」とも言える古代の知恵から、ヴェネツィア、イギリスにおける初期の法制度までを駆け足で見てきました。発明者の権利を守り、新しい技術を生み出すための工夫が、時代と共に形作られてきたのを感じていただけたでしょうか。
次回は、これらの種がアメリカやフランス、ドイツ、そして日本でどのように花開き、独自の特許制度へと発展していったのかを探っていきます。お楽しみに!
なんでもよいので、気づいたことはお気軽にコメントください。ではまた!
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