こんにちは。Hanaoです!
空を自由に飛ぶ――それは、昔も今も変わらない人類の大きな夢の一つですよね。 その夢を初めて現実のものとしたのが、オーヴィルとウィルバーのライト兄弟です。彼らが1903年に世界初の有人動力飛行に成功したことは、歴史的な偉業として誰もが知るところです。
ところで、ライト兄弟は「飛行機の特許で莫大な富を築いた」という話を耳にしたことはありませんか? 発明家がその発明で豊かになる、というのは夢のある話ですが、実際のところはどうだったのでしょうか。今回は、ライト兄弟の「特許」と「富」の関係について、少し深掘りしてみたいと思います。知財や経済の話はちょっと…という方にも分かりやすく解説していきますので、ぜひお付き合いください!
ライト兄弟の「魔法の特許」とは?
ライト兄弟の成功の核心には、彼らが取得した一つの特許がありました。 それが、アメリカ合衆国特許第821,393号、発明の名称は「飛行機械 (Flying Machine)」です。
ライト兄弟の主要特許

「三軸制御って何?」と思いますよね。 簡単に言うと、飛行機を前後左右、そして傾きも含めて、パイロットの意のままに操縦するための仕組みのことです。具体的には、翼の端をねじる「ウィングワーピング」という方法で機体を左右に傾け(ロール)、昇降舵で機首を上げ下げし(ピッチ)、方向舵で機首を左右に向ける(ヨー)、これらを組み合わせて安定した飛行を可能にしました。
当時の他の発明家たちは、強力なエンジンや翼の形に注目していましたが、ライト兄弟は「いかに飛行機をコントロールするか」という点にこそ、飛行成功の鍵があると考えたのです。この着眼点が、彼らを歴史的な成功へと導きました。
この特許は、単に「空を飛ぶ機械」というだけでなく、「操縦可能な空飛ぶ機械」の根本原理を押さえていたため、非常に強力な権利となりました。
特許は金のなる木?ライト兄弟の収益モデル
さて、この画期的な特許を手にしたライト兄弟は、どのように収益を上げていったのでしょうか。
1. ライセンス供与とエアショー
特許取得後、ライト兄弟は当初、自分たちの発明を他者にライセンス供与することで収益を得ようとしました。ヨーロッパの企業や、飛行機を使ったエアショーの主催者などにもライセンス料を要求した記録があります。
しかし、当時はまだ航空産業自体が黎明期。すぐに大きな収益につながったわけではなかったようです。
2. 「ライト社」設立:特許を核にしたビジネス展開
大きな転機となったのが、1909年の「ライト社 (Wright Company)」の設立です。 投資家グループから100万ドルもの資金を集めて設立されたこの会社に、ライト兄弟は自分たちの特許権を譲渡します。その対価は、なかなか興味深いものでした。
ライト兄弟がライト社から得たもの

ライト兄弟は、特許という知的財産を元手に、会社の主要株主となり、さらに売上に応じたロイヤリティも得るという、巧みなビジネスモデルを構築したのです。 ライト社は、この強力な特許を盾に、アメリカ陸軍への航空機納入契約を勝ち取るなど、事業を拡大していきます。1910年から1915年にかけて約120機の航空機を製造・販売したと言われています。
特許戦略の「光」:発明の保護と市場の牽引
ライト兄弟の特許戦略は、彼らの発明を保護し、初期の航空技術における圧倒的な優位性を確立する上で、大きな力を発揮しました。
- 発明の独占的な実施: 特許により、他者が無断で同様の飛行制御システムを使用することを差し止めることができました。
- 技術的リーダーシップの確立: 特許を持つことで、航空技術のパイオニアとしての地位を不動のものにしました。
- 収益化の基盤: ライト社の設立やライセンス契約を通じて、発明から経済的な利益を生み出す道筋をつけました。
このように、特許はライト兄弟にとって、まさに「発明の翼」を広げ、ビジネスを飛翔させるための強力な追い風となったのです。
しかし、この強力な特許は、同時に大きな嵐も呼び込むことになります。 次回は、ライト兄弟が直面した「特許戦争」の勃発、そして彼らが最終的にどれほどの「富」を手にしたのか、その光と影に迫ります。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。 (記事2/2へ続く)
なんでもよいので、気づいたことはお気軽にコメントください。ではまた!


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